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こんにちは、優木るなです。



この記事は


の続きとなります♪



|| 大きな壁




「私、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コースに入ることにした。」

「そこでカウンセラーを目指す。」



憎き母からそんなことを言われ、
怒りが頂点に達した私。



母親が幸せになるなんて、絶対に、死んでも許せない。


という執念の元、母を追いかけるようにカウンセラー養成コースに入会しました。
(カウンセラー養成コース:カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスが運営する「カウンセラーになるためのスクール」)





カウンセラー養成コースの講座を通して心理学を学んだり、ヒーリングワークと呼ばれる心理学を用いたワークショップに参加すると、たびたび耳にする言葉があります。



それは、
許し。




講座でも、ヒーリングワークでも
とにかく許し、許し、許し。


絶対耳に入るんですよ。
私にとって“許し”は大きな壁になっていました。

(当時、私の大嫌いな言葉ランキング第1位が許しでした。ついでに第2位は我慢、第3位はダイエット。)



許しを辞書やウェブサイトで調べると、

許可すること、罪を咎めないこと
と書いてあります。



当初の私の許しに対するイメージも辞書通りで

「許す?はぁ?母親を許すって、あのクソ女を?あんな酷いことしたり、こんな酷いこと言ってきたんだよ?許せるはずねぇだろ、バカ。まあ、母親が土下座して今までのことを謝ってきたら考えなくもないけど。」


と思っていました。





|| 気づき




怒りやら憎しみやらを抱えながら、
心理学に関する講座に参加した時のこと。





そこで私は、


「あなたが相手を責めている時、

あなたは幸せじゃない」



という言葉を耳にしました。


その言葉を聞いて、
脳裏によぎるのは母親の存在。





「私、めちゃくちゃ母親を恨み、憎み、死ねばいいと思ってる。」

確かに、母親を責めてる時って幸せじゃない。

「でも、母親を許すことなんて到底できないしなぁ。」

うーん、だとしたら



私って幸せになりたくないのかな?
本当は何がしたいんだろう?

と講座中にも関わらず、考え始めました。





私が、母親と、本当にしたかったこと。




出てきた答えはただ一つ、



母親と仲良くなりたい



ということだけでした。





ただ笑って、おしゃべりをしたり。

なんの気無しに、一緒にいたり。

たまには一緒に出かけたり、できたら旅行に行ったり。




ああ、本当は私はお母さんと仲良くしたかったんだ




講座中に誰も泣いてないのに、
ぼろぼろぼろと涙が溢れて
止まらなくなりました。

(なんなら私の師匠がくだらない下ネタを言っている中で)



|| 突然の...



「本当はお母さんと仲良くなりたかった」
という本心に気づき、少し経ってからのこと。




母親からLINEで

「今日、私夕飯一人なんだけど、

一緒に食べない〜?実家おいでよ〜。」

と誘いを受けました。



過去の出来事もあり、接し方が分からなかった私。
母親と二人きりが超絶苦手でした。


返信に悩む...。



「どうしよう。」
「えー、でもこの前の講座の時に母親と仲良くなりたいって気づいたけど。」
「うーん、でも、どうしよう。」


講座で気づいた本心が自分の大きなお尻をぐいぐい押します。




「えーい、ここは男気!ソイヤ!」
と半ば投げやりに勇気を振り絞って、



「分かった、夕方くらいにそっち行く〜」
と返信してみました。


内心、めっちゃドキドキ。



だって、今まで
「母親を許すもんか」
と思っていた私が母親と“二人きり”の夕飯...。


二人きりですよ!?


そんなこんなで、あれだけ恨み、憎しみを抱いていた母親と二人きりの夕飯タイムが訪れてしまったのです。




|| お母さんと私




実家に行って、ソワソワしていたのを覚えています。



正直、その当時は
「母親はすぐ怒る、突然怒る」
という考えが根本にあったので、

手伝った方がいいかな?

不用意な会話は避けた方がいいよね?
と、実家なのにめちゃくちゃ緊張してました。




そんな中、母親は

「座って休んでて〜。」

と言ったのです。


ええっ、あのヒステリックな母親の口から!?

へぇ...座って休む...ほーん。
コイツがこんなこと言うなんて、初めてだ...。




今となっては、

母親も私と仲良くなろうとしたのかな?


カウンセラー養成コースに通うことで
母親自身にも心境の変化があったのかな?


と思いますが、

その時は台所に立つ母親の背中を

「なんなんだコイツ?」と見ながら、

何もせずお茶を飲んでいました。






あの時の私には

気まずさ、居心地の悪さ


しかありませんでした。







その時の食事の記憶はほとんどありません。



でも、夕飯の余りと白米をタッパーに詰め
てくれて、
「これ、明日の朝ごはんに食べな」
と渡してくれました。



母親なりの愛情とか、
親心とか、
心配なんだろう。


私の中で気恥ずかしさが勝ってしまい、

「別にいいのに」

と、感謝をうまく言えませんでした。


お母さん、あの時はありがとう。






気恥ずかしさや、気まずさのせいか
ご飯を食べ終えてすぐに
「そろそろ眠いから帰るわ」
と眠くもないのにそそくさと帰り支度を始めました。


母親は
「もうちょっといたらいいのに」
と少し残念そうな顔をしていました。


お母さんは私が帰り支度をする間、

「これ、持って帰る?」

「美味しいお菓子、袋入れとくね。」

「この鍋の素、美味しいから今度作るね。」

ずっとずっと私に話しかけてました。




そういえば...。




お母さんって、
前に私が実家に来た時も
「コレ持って帰りな」
「今度はアレ作るね」
って、口うるさかった。


私が「いらない」って言っても、
「えー、なんでよ、持って帰りな」
って笑いながら渡してきたり、カバンに入れてくれたりして。






なんだよ、どれもこれも、そこかしこに母親の愛情が散らばってたじゃん。

私は母親を責めることばかりで、見てなかったんだ。





尚更その場から離れたくなりました。




玄関先で「またおいで」と言われて、

「うん、またね」と返した時、

母親は嬉しそうでした。








帰り道、涙が溢れて止まらなくなりました。






お母さんが、私に関わってくれた。

私は、ぶっきらぼうな態度とっちゃった。

でもお母さんは、「またおいで」って。

あんな嬉しそうな顔しちゃってさ。


お母さんだって、私と仲良くなりたいと思っていたんだ。






お母さん、私のこと大好きだったんじゃん。






あんなにお母さんを恨み、憎み、死ねばいいと思っていたけど、お母さんは私のことが大好きだったんだ。

私が気づかない、知らないところで愛情を送っていたんだ。





実家から家までの帰り道。
競歩選手ばりに超早足で号泣しながら帰りました。



|| お母さんと卵焼き




お母さんと仲良くなりたい
という本心。



今は現実になっています。

実家にご飯を食べに行ったり、
フラッと立ち寄ったり、
お互いの困り事があれば助け合ったり。





そして、お母さんから
「卵焼き焼こうか?」
と、聞かれる時、私はすごく嬉しくなります。



かつての私の本心
お母さんと仲良くなりたい
がそこにあるからです。




こんな平穏で、ありふれてて、優しい日常が訪れるなんて、当時の私には想像もできませんでした。




かつてのお母さんは
「卵焼き焼こうか?」なんて、
絶対に聞かないと思います。




でも、本当は言いたかったのかもしれない。





そういえば私が高校生の時
週に何度かお弁当を持って行っていました。



ある朝、母から
「今日は冷凍食品だけだから!」
言われて。

お昼にお弁当の蓋開けたら

  • 冷凍食品のグラタン
  • 冷凍食品の唐揚げ
  • 冷凍食品のほうれん草の胡麻和え
  • お母さんの卵焼き

って入ってたっけ。




冷凍食品だけじゃないじゃん。

お弁当作ってくれて、ありがとう。

思い返すとそこかしこにお母さんの愛情があったんだ。

お弁当の卵焼き、美味しかったなぁ。





もっと遡ると、小学生時代の私は卵焼きを焼くことにハマっていました。



でも、味付けも、火加減も適当なので、
作って味見しては

「うーん、お母さんのと違う、なんか美味しくない。」
と、おばあちゃんに食べてもらってました。
(おばあちゃんよ、ごめんね、ありがとう)




今思うと、子供の頃から“お母さんの卵焼き”が大好きなのだと思います。



もちろん今も大好きです。





でも、だからこそ、しばらくの間はレシピや焼き方を聞くことはしません。


お母さんの卵焼き”が食べたいから。



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お読みいただきありがとうございます。


優木るな



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