こんにちは、優木るなです。
私は自他共に認める唐揚げ好きです。
特におばあちゃんの唐揚げが好きで、食卓に並ぶと
「今日は当たりの日だ!」
と嬉しくなります。
そしてもう一つ、好きな食べ物があります。
それはお母さんの卵焼きです。
お母さんは卵焼きを焼くのがすごく上手。
ふわふわ、しっとり、塩味が絶妙なんです。
実家でご飯を食べに行った時、
「卵焼き焼こうか?」
と言われると、嬉しくてテンションが上がります。
ですが、以前の私はお母さんが大嫌いでした。
本心で、心の底から、
「母親死ぬか、私が殺すか。」
「そうしないと私は幸せになれない。」
と思い、母を憎み、恨んでいました。
あ、これは予め...、カウンセラーになるにあたりお母さんからは「私とるなの間で起こった出来事は、どれでもなんでもオープンにしていいよ〜!」と許可を貰っていますのでご安心くださいね!
|| きっかけ
なぜそんなにも母の死を望んでいたのか?
かつての母はとても気分屋な人でした。
突然怒り出したり、八つ当たりしたり、暴言、物に当たるなどなど・・・。
「お母さん、さっきまでテレビ見て笑ってたのに、なんで怒ってるの?なんでティッシュの箱投げるの?」
なんていうことが日常茶飯事。
また私が小さい頃から、母と父は仲が良くありませんでした。
「お母さんがヤクザみたいにパパにキレて、パパもヤクザみたいに怒る」
というめちゃくちゃ怖い喧嘩が週に1、2回勃発していました。
確か、私が中学1、2年の頃だと思います。
晩ご飯を食べ終え、リビングで母と私、2人でバラエティ番組を見て、過ごしてました。
すると突然、本当に突然
母が怒りながら父に電話をかけ始めるのです。
「...てめぇ、このヤロウ!小指置いて帰ってこい!」
と、母が父に言いました。
任侠映画でしか見たことない“極道”なセリフ。
え、お母さん、どうしたの!?
小指って置けるの?
私、なんかしたっけ!?
怒らせた...?
と、母親をチラッて見ると、
「寝ろ」と一言。
ちびるほど怖い。
ベッドに直行しましたが
「お母さんどうしたんだろう。」
「パパが帰ってきたらどうしよう。」
「喧嘩になったらどうしよう。」
とビクビクしながら夜を過ごしたことを覚えています。
“極道”な毎日でしたが、中学卒業手前で大イベントが発生するのです。
そう、親の離婚。
両親の喧嘩や言い合い、
時には警察沙汰もあってか、
「離婚したら、お母さんが怒ることもなくなるかも!優しいお母さんになる!」
と大きな期待と希望を胸に抱えながら、離婚後の生活をワクワクドキドキしていました。
というわけで、お母さんは優しいお母さんになりました♪
といきたいところですが、母親のヒステリックさは変わらずに継続していきました。
結局、極道な日々を過ごしながら中学高校を卒業し、大学入学した頃には母親に対して
「最低最悪ヒステリック女」
という印象を抱いていました。
それと同時に、
「私が怒らせないようにしても、どうせ怒るヒステリック女」
とも思っていました。
小噺になりますが...。
ダチョウ倶楽部さんの「押すなよ、押すなよ、絶対押すなよ!」という熱湯風呂のネタ。
人間って禁止されればされるほど、
禁止されたことをしたくなっちゃう
お茶目な生き物なんですよね。
ダメと言われるほど、やりたくなる。
雑誌の袋とじも、袋とじだから見たくなる。
夜中に食べるラーメンの旨さも然り。
なので、上島竜兵さんが「押すなよ、押すなよ」と言えば言うほど、押したくなるのです。
母親がヒステリックを起こしていた頃の私は
「怒らないで、怒らないで」
と思いながら接していました。
そりゃ母親は怒りますよね。
当時は母親が死ぬほど怖かったけど、
今思うと怒りを助長させていたのは私じゃん、
ウケる、やば(笑)母親ごめん。
と、こんな感じで、
小さい頃から母親を怒らせないように過ごしてきた私でしたが中学、高校、大学、社会人と大人の階段を登っていくうちに、
「私が何をしようとも、どうせ怒るんだ、この女と関わることは無駄。」
という諦めに近い感情を抱くようになりました。
そして、
母親を避けて、
距離を取って、
母親がいない快適さを知れば知るほど、
「母親は最低最悪なやつ」という恨みの感情は倍増していきました。
それと同時に、
母親を避けて、
距離を取って、
母親がいない快適さを知れば知るほど、
距離を取って、
母親がいない快適さを知れば知るほど、
家族に対して「私だけ逃げて、ごめんなさい」という“申し訳なさ”も抱えるようになりました。
|| 転機
母親に恨み、憎しみ、殺意すら持っていた、ある日のこと。
私は母親からこんなことを言われました。
「私、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コースに入ることにした。」
「そこでカウンセラーを目指す。」
“カウンセラー養成コース”とは、
カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスが運営する「カウンセラーになるためのスクール」です。
よりによって“カウンセラーを目指す”なんて言いやがったわけなんですよ。
今となっては、
母も母なりに家族のことを
悩んでいたのかな?とか
家族なのに争い続ける日々に
疲弊していたのかな?とか
もしかして家族のために
心理学を学ぼうと思ったのかな?とか
母の心境を想像したりもできますが...。
当時の私は
「このクソ女、家族に散々なことしておいて、何がカウンセラーだ。」
「カウンセラーになるってことは人の悩みを聴くんでしょ?私の悩みなんて、一度も聴いてくれたことなかったのに!」
「このクソ女が幸せになるなんて、絶対に、死んでも許せない。」
という怒りで、母親の決断を応援することができませんでした。
そんな“恨みの気持ち”が原動力になったのか、
「お前だけ逃げることは許さない」
という執念の元、私も母を追いかけるようにカウンセラー養成コースに入会しました。
そして、カウンセラー養成コースの講座を通して心理学を学んだり、ヒーリングワークと呼ばれる心理学を用いたワークショップに参加することで
“大きな壁”に直面することになるのでした。
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ここまでお読みいただきありがとうございます✨
以上、①となります。
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優木るな